2026/02/04 09:09
戦後80年を過ぎ、その記録や記憶が薄れていく中で、未だ発見も発表もされていない史料があります。
この本は、第二次世界大戦末期に旧沖縄県立農林学校の最後の校長であった渋谷秀雄先生が書き残した日記と方言メモ、エッセイの原稿をご遺族の了解のもとに手塚好幸様が編集・訳注して活字化したものです。
日本軍がサイパン島で玉砕した昭和19年7月、本土決戦を見据えた持久戦の防波堤として、沖縄に多くの兵が送られてきました。学校校舎が接収され次第に戦争準備を強いられることになったあたりから始まった日記は、翌昭和20年の7月まで一日も欠かさず綴られています。
日本軍がサイパン島で玉砕した昭和19年7月、本土決戦を見据えた持久戦の防波堤として、沖縄に多くの兵が送られてきました。学校校舎が接収され次第に戦争準備を強いられることになったあたりから始まった日記は、翌昭和20年の7月まで一日も欠かさず綴られています。
〝治安維持法下、校長という立場から書けることと書けないことがあったかもしれないが、当時の緊迫した未曾有の非常事態を一言でも断片的でもよいから書き記そうという意図を感じる〟と手塚様は読み解いています。
そして80年前に使われていた当時の沖縄の方言を、余すところなく掲載していることは史料としてもまた貴重なものでしょう。
そして80年前に使われていた当時の沖縄の方言を、余すところなく掲載していることは史料としてもまた貴重なものでしょう。
なお、この書籍は渋谷校長先生のご遺族・編注の手塚様の意向により書店販売はせず、クラフト舎オンラインショップのみでの頒布となりますことをご理解いただきますよう、よろしくお願い申し上げます。
